みなさんこんばんは、からあげです。
本日は雨でジメジメして少し肌寒かったです。
今日は急遽、友人がアパートに遊びに来ました。
何だか色々ごたごたが現在進行中なようで元気が無かった。
痩せてしまっていたし、休職中の私が言うのもあれですが、心配。
聞くことしか出来ないけれど、少しでも気が紛れればいいなと思いました。
ひとりでいたくないって気持ちが凄くわかりました。
生きていると色々なことが起こりますよね。
話は変わりますが、アマゾンプライムのエンジェルフライトが
おススメで出てきたので何となく見てみたのですが、
おいおい泣いた、
泣きながら適当ご飯を食べた。
春は葉物が美味しいですね。
今日は珍しく朝も作って食べました。生理前の爆食期来たのかなー。
切り干し大根は豚肉と炒めるのが好きです。そんな一人ご飯。
美味しかったけれど、やっぱり人と食べたほうが美味しいなーと思う。
はい脱線。
ドラマの話に戻る。
連日YouTubeで同じ映像ばかり見ている自分。ドラマは久しぶり。
1番最近でもNETFLIXのジェフリーダーマーの連続ドラマと
今際の国のアリスは一気見したかな、ドラマもたまには良いなと。
以前は連続ドラマって苦手で、途中でやめてしまうことが多かった。
学生時代も社会人になってもドラマの話題に入れなかったなー。
話題に入りたいから見るってものでもないですが。
サイレント?だったかも職場でドはまりする人が大勢いて
絶対見た方がいいと言われたけれど、いまだに見ていないなぁ。
見たらハマるのかしら、とりあえずエンジェルフライトは
見続けてみようと思っています。ゴミ箱がティッシュだらけだ。
今日は友人との会話でお互いの亡くなったじいちゃんのお話が出たり、
エンジェルフライトを見たせいもあり、じいちゃんのことを思い出した。
ので、思い出を書いてみようと思う。
他人のじいちゃんの話?と思うかもしれないが暇つぶしに
読んでくれたら嬉しく思います。それではいってみよう。
(↓毛穴ツルツルになるよ、チョコミントの香りでアイス食べたくなる↓)
うちのじいちゃんは寡黙な人だった。
タバコはわかば、お酒とマグロの刺身が好き。
あかまるポートワインを飲んでいたことを思い出す。
じいちゃんは生まれた時すぐに父を亡くした。
まだ若かった母を不憫に思った親族の勧めで母は別のところへ嫁いだそうだ。
じいちゃんは頭が良かった。学校の先生に進学を勧められたそうだが、
お金がなく進学しなかったとか聞いた。小学校の頃は勉強を教えてくれた。
戦争を経験し、海軍の無線機係だった。
小学校の夏休みの宿題で戦争のテーマが出た時に聞いた思い出がある。
無線信号も覚えていたし、大砲の音がすっごく怖かったと言っていた。
その時海軍の軍服に付いていたであろう階級章を見せてくれたのを覚えている。
その後ばあちゃんと結婚し、子宝に恵まれるが1人は死産。
もう1人は病気で亡くしたそうだ。
雪の中、既に亡くなった子をおぶって病院まで何キロも歩いたという。
途中知り合いに会ったが見られないように寝ているからと隠して歩いたと
話していた、大人になってからこの話を思い出すととても切ない。
大工として働いていて、家もお墓も自分で作った。
ちゃんとした家だったが友人の家が新しくなっていくと羨ましかった。
今思えば失礼な考えかも知れないが、小学校の時はそう思っていた。
お墓も手作りで石に自分で墓標を彫っていた。
うちのお墓は何で手作り感満載なのだろうと思っていた。
家は中学に上がるときに増築し自分の部屋が出来たのは嬉しかった。
外壁も新しくして家が新築みたいに見えた。中は変わらずともわくわくした。
お墓も数年前に新しくしたが、じいちゃん手作りのお地蔵様たちは
今でもピカピカのお墓の横にひっそりと佇んでいる。
何とも言えない可愛らしさがある。
じいちゃんはカブに乗っていた。畑へ行く途中にすっころんで
血だらけになって帰ってきたときは衝撃的だった。本人は笑っていたが。
大正生まれあるあるなのかは知らないが、
小学校からタバコを吸っていたため肺が悪かった。
声もガッサガサだった。姉と今でも真似して懐かしむ。悪気はない。
肺気腫になって酸素吸入しながら生活していたが、
機械の水やフィルターの掃除をすると嬉しそうにしていた。
畑も好きで携帯酸素を背負いながら畑仕事をしていた。
病院へ行くときはしっかりスラックスに着替えて緑色の瓶の整髪剤を付けて
Ora2のマウススプレーをしたりガムを噛んだりしていた。口臭予防に余念がない。
病院では毎回、ギットギトの揚げあんパンを買っていた。
じいちゃん、何でそれ毎回何個も買うの、油やばいよ
と言いながら毎回一緒に食べていた。
今その病院はないのでじいちゃんのことを思い出すと食べたくなる。
私が精神病棟入院した時には手紙をくれた。今でも手元にある。
気持ちが弱った時に見るのだが、毎回号泣してしまう。
酸素吸入をしながら茶の間に座って書いている姿が目に浮かぶのだ。
2度目の関東への上京の際も、
寂しいからもう行くな
と言ってくれた。なんかその一言で寂しくなってまた泣いた。恋人か。
じいちゃんは確かレビー型認知だったと記憶している、
しかし幻覚を見ても至って冷静だった。
部屋が燃えているが、そんなことはありえない。
俺はおかしくなったんだなー。
と言っていた。
認知がひどくなる前に肺が弱り、入院した。
酸素マスクが邪魔だと怒り、壊したことがあった。
看護師さんに怒られて、強力なゴムつきのマスクに替えられた。
その後暫くして亡くなってしまったが、
酸素流量も多かった為、鼻の骨のところの皮膚が剥けて痛そうだった。
火葬されるまで何度も唇をあかまるポートワインで湿らせた。
私にとって初めての葬儀だった。
すごく悲しかったけれど、人間骨になってしまうと諦めがつくというか、
わんわん泣くことは無かった。あーじいちゃん骨になっちゃったんだって。
その後の遺品整理で、海軍の階級章は出てこなかった。
捨てたのか、何かに挟まっていて捨ててしまったのか分からない。
引き出しから髪の毛が出てきたのにはビックリした。ホラー。
多分、亡くなった子の遺髪ではないかという話だった。
それ以外の理由が見当たらないし、それ以外の理由があったら怖い。
じーちゃんに会いたいなとふと思う。もっと話したかったと。
もちろん両祖父母、どちらも会いたいがじーちゃんのことは
不思議と心が弱った時に思い出すのだ。
じーちゃんは強かったけれど私はまた立ち止まってしまっているよって。
じーちゃん、小学生の夏、じいちゃんに小豆アイスのおつかいを
頼まれた時に、抹茶アイスしかなかったと言って渡したよね。
じーちゃんは抹茶でもいいよと、グリグリスプーン立ててほじくっていたね。
あのカッチカチの抹茶アイスはね、
冷凍庫の奥底で化石寸前になっていたもので、
100円は私の財布に入ったんだ、ごめんねって。
そんなうちのじいちゃんの話。立派な自慢のじいちゃんだったんです。
なんのこっちゃと思いながら今日この記事を読んでくれた方
ありがとうございます。暇つぶしになったかな。
さて、今日は床に座って打っているので足が痺れました。
また次回の記事でお会いしましょう。
からあげ。
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